・英語版テキストは順次公開予定です。
・The English transcripts of the interview will be released in a sequential order.
イミグレーション・ミュージアム・東京
オンライン美術館・わたしたちはみえている ―日本に暮らす海外ルーツの人びと
アーティスト・インタビュー
ゲストアーティスト
李晶玉|RI JongOk
2020年12月3日(於:朝鮮大学校 アトリエ)
聞き手:岩井成昭
李晶玉さんへ参加をお願いした理由
岩井:今日はアーティストの李晶玉さんのお話を伺いに、李さんのアトリエにお邪魔しています。よろしくお願いします。
李:よろしくお願いします。
岩井:まずはじめに、2020年はイミグレーション・ミュージアム・東京(以下、IMM東京)の発足10年目にあたります。奇しくもこの年はオリンピックイヤーということで、予定通りだったら東京オリンピック・パラリンピック2020が開催される年でした。このオリンピックの開催にむけて、国際交流や多文化共生というキーワードが日本の至るところで聞こえてくるようになってきています。しかし、個人的にはその本質的な意味が、オリンピックという巨大な経済活動の側面が強調されることによって見えなくなってしまうのではないか、という恐れがあると思っています。このような状況下において、IMM東京では発足10年という節目の年に多文化社会とアートをテーマとした展覧会を考えていました。その中で、オリンピックを複数の角度から捉えている美術表現を紹介させて頂きたいと思っています。ひとつは李さんの作品であり、もうひとつは、高山明さんが4年ほど前に発表した《バベル ― 都市とその塔》という作品です。そして、この李さんの《Olympia 2020》という作品ですが、この2つの作品が対峙することで、展覧会に鮮明なコントラストが出てくるのではないかなと考えています。今日は、その《Olympia 2020》からお話を伺っていきたいと思います。

李晶玉さんのアトリエでのインタビューの様子
《Olympia 2020》の発想のタイミングについて
岩井:そもそも《Olympia 2020》を発想したのはいつ頃なんでしょうか?
李:2019年6月頃にVOCA展の話を頂いて、大きい作品を作りたいと思っていました。2020年のVOCA展で発表するので、どうしてもオリンピックが盛り上がっている時期だと思っていたので、そのことについて触れざるを得ないと考えていました。周りの出品者も時期的にオリンピックをテーマとした作品を出すんじゃないかと、テーマが被らないか心配してたんですけど、意外とほとんどいませんでした。オリンピックをテーマにするというところから構想をはじめ、スタジアムというモチーフを思いつきました。《Olympia 2020》の前に描いていた《Eden》以降、背景/バックグラウンドとその人物の関係性を作品化する制作を続けていたので、《Olympia 2020》でも、背景はどこか、と考えた時にスタジアムがしっくりきたというのが最初にありました。そこからオリンピックに関する歴史や映画などリサーチを続けながら構想を練りました。最初の発想の時点でスタジアムの真ん中に人物がいて、中心に穴が開いているような構図は2019年の夏頃には決めていて、そこから詰めていきました。
リオ・オリンピック閉会式に受けたインスピレーション
岩井:先日、リオ・オリンピック閉会式にインスピレーションを受けたと伺ったんですが、どのようなところからインスピレーションを受けたのでしょうか?
李:もともとオリンピックにあんまり興味が湧かない人間で…スポーツをあまりじっと見れないと言いますか…。でも、オリンピックの開会式・閉会式は文化や国力をアピールの場という感じで見るのが好きでした。オリンピックは国家間のお祭りなので、ナショナリズム的な熱狂みたいなものに誰しも不用意に乗っかってしまうような祭典でもあるとも思っていて、その部分に興味を持っていました。2016年のリオ・オリンピックの閉会式の演出で、スタジアムの床に日の丸の映像が投影されて、君が代が流れるシーンがあるんですが、それを見て感情が動きました。そういう作用は自分にも起こり得るし、例えば別のことで言うと朝鮮学校でも運動会の時に共和国(朝鮮民主主義人民共和国)国旗を揚げて国歌を流すんですが、そういう時にも自分の感情が動きます。その作用が面白いと思っています。自分は何人という意識で君が代や日の丸を見て感情が動くんだろうか、と。あるいは、どういう作用が国家と個人の間で起こるんだろう?と思っていました。ナショナリズム的なものはテーマとして面白いなと感じていましたし、そういう意味からもオリンピックというものは扱いたいと思っていました。在日社会は、日本の中にある小さい北朝鮮を実現しようとする試みとも言えると思うんですが、自分はそこに属する在日という、国家との関係が複雑な立場です。だからこそ、それを小さいミニチュアとして観察することで、自分をモデルにできる気もしています。
北朝鮮と日本:それぞれの国旗掲揚をみたときの感情の違い
岩井:今の話を踏まえての質問なのですが、北朝鮮の国旗を見て心が動く瞬間と、リオ・オリンピックの閉会式で日の丸を見て心が動く瞬間とは、心理状態として似ているのでしょうか? それとも全く別のものですか?
李:それを見ている多くの観客と、それに対する多くの日本人の反応に対して、感情が動くというということです。それにすごく熱狂している人たちを見るのって感動というと変な言い方になってしまうんですが...。
岩井:引いた立場から見ているってこと?
李:どうなんでしょう...。それを見て多くの人たちが熱狂している姿に感情が動いたりするのかな、と感じました。

李晶玉
作品《Olympia 2020》について
岩井:この作品を見ると、そのような熱狂からは、遠く離れた感じがします。どちらかというと冷徹というか、静謐な世界の中に存在しているような...そのギャップがあるとすれば、それはどのように生まれてきたのでしょうか?

《Olympia 2020》
競技場のモデルについて
李:《Olympia 2020》で背景にしているのは、ベルリンにあるオリンピアスタジアムです。1936年のベルリン・オリンピックは、ナチスがプロバガンダ的に利用した大会なんですが、この競技場は当時会場として使われていた場所にガラスの屋根を取り付けて現在も使われている場所です。そこをモチーフに描いているんですけど、最低限の要素の骨格だけ抜き出して描いています。それは、実際の競技場に立っている人物を描写したいというよりは、「スタジアム」というものが内包している個人に作用する構造体として描きたかったので、実際の温度感みたいなものは度外視した描写です。
印象的な「青」について
岩井:この作品の中で、ひとつ印象的なのは全体を支配するのがブルーのトーンです。この青は、李さんの複数の作品の中で印象的に使われていますが、この意識はどこからきたのか教えて頂けますか?
李:色に記号的な意味を持たせようと意識し始めたのは、5年くらい前からになります。
それ以前は、近代美術を意識していたので褐色系の絵が多かったんですが、それを現代でやる意味に疑問を持ちました。もっと多くの人が読み取れるような作品を作ることを意識し始めました。その時に、最も大きな文脈である西洋美術史やそこのルールで使われているモチーフを、敢えて自分が使うことを意識して作り始めました。キリスト教美術でいうと青は、神や天を表す色で人間に対して支配的に作用する色で、例えばマリアが羽織るマントとかの色として使われています。最初にその青を意識した時はそういう風な記号性を考えて使っていました。
岩井:少し俗っぽい言い方をすると、李さんの青は「勝負色」というのか、トレードマークに近いものだというイメージを持つこともできます。それに対して、この作品に関しては「日の丸」というモチーフの色となるのでしょうが、青に対して赤を対比させる意味もあると伺いました。少し説明頂いても良いですか?
「青」に対応する「赤」ついて
李:この作品ではあまり関係がないですが、色を意識し始めた5年前の作品だと、宗教画と同じ文脈で支配的な青に対して血の色や大地の色を表す赤だったり褐色を人間の色として使っていました。システムとしての青と、個人としての赤のような関係性として色を使うことに意識していたと思います。
[Information]
李晶玉 展覧会情報
タイトル|平成美術:うたかたと瓦礫デブリ 1989–2019
会期|2021年1月23日(土)~4月11日(日)
会場|京都市京セラ美術館
https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20210123-041

李 晶玉
RI JongOk
在日朝鮮人3世という立場から、国家や民族に対する横断的な視点を足がかりに制作を展開している。古典絵画の構図や象徴的なモチーフを借用し、マジョリティの文脈や構造にアプローチをかける試みを行っている。